あるパーティで画商の方とお話する機会があった。相場次第で大きく価格が変動する芸術作品の売買は、確かにリスキーだが実に奥が深いビジネスだとおっしゃる。
この方に私はこんなを質問してみた。
「既に画家本人が死去している場合、世間に存在するこの画家の作品数は増えることがない、だから、人気のある作家の作品(遺作)には途方もない値段がついてますよね。だとすると、最近お亡くなりになった画家の作品は、やはり高騰するんでしょうか?」
画商の方の答えはこうだ。
「いやそうでもない、ある画家が死んだ時、彼の作品がある程度まとまって市場に放出されることになるのだが、そうすると、その画家の作品に対する需要より供給が上回ることになるから、作品の値段が上昇するとは限らないんだよ。」
画家は、一生涯を通じて、その画家特有の画風、つまりスタイルを確立していく。ゴッホ、シャガールなど個性の強い画家を思い出してもらえればわかると思うが、すぐに誰の作品かわかるのは、画家固有のスタイルがどの作品にも共通して存在しているからだ。
そして、まさに、そういったスタイルこそが、他者と異なる固有のポジションに画家を位置付け、社会的に価値をみい出される機会を生み出す。ただ上記のように、一つのスタイルに貫かれた作品であるがゆえに、しばしば供給が需要を上回ってしまうということもある。
こんな会話をしながら、スタイルを確立することって画家に限らず、自分のようなごく普通の社会人にも大切なんじゃないか、ということがふと頭をよぎった。絵画という作品を生み出すというゴールは同じだが、そこにたどるつくまでの道筋は画家それぞれであり、それが「マイスタイル」とでも呼べるものだ。
我々も、収入を得る、社会に貢献する、レジャーを楽しむ等々、人生のいろんな場面でいろんなゴールや目的がある。それは多かれ少なかれ誰でも共有するゴールや目的である。でもそれぞれが自分のやりかたでゴールを目指す。まったく同じ道筋を通ることはまずない。
大事なことは、自分にとって心地よい、またしっくりくる「マイスタイル」を意識的に確立しようとすることじゃないかと思う。「これが自分の生き方だ」と感じることができることことこそが、自分の人生に価値を見出す方法のように思える。
ただし、どんなことがあろうともマイスタイルを変えない、ということにはならないようにしたい。自分の価値観も時とともに変化するものだから、マイスタイルもある程度、柔軟に変えていけるのが理想かもしれない。一生のうちに何度も画風を変えたピカソのような大天才の真似はできないにしても・・・。
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