類人猿の中で、「反省する」ことができる
のはヒトだけのようだ。かの有名な、さる
まわしの次郎氏は唯一の例外である。
「反省」といっても、悔恨や懺悔という意
味合いではなく、自分の行動を後から振り
返ってみる、あるいは行動の最中でも、一
歩引いて行動自体を観察し、考えてみるこ
とである。「反省」ではなく「省察」と言
う方が、馴染みのない言葉だが誤解は少
ないかもしれない。
さて、「反省」(または省察)とは、ある
行動の結果が成功した・失敗した、という
表面的なことではなく、「なぜ成功(失敗)
したのか」というところまでつきつめて考
えてみることである。これは、理論化、あ
るいは仮説設定をやるということだ。
そして、次に同じ行動を繰り返す場合、そ
の理論が正しいかどうか、つまり、仮説の
検証を行う。このように、ヒトは、行動を
通じて理論を生み出し、また修正する能力
を持っている。
しかし、ヒト以外の猿は、どんな行動が成
功するかを覚えることはできるが、理論化
はできない。例えば、芋を海水で洗うとお
いしいという成功体験から、芋洗い行動を
覚えることができる。だが、なぜおいしい
のかは考えないので、応用が利かない。も
し、突然なんらかの理由で洗った芋がおい
しくなくなったとしたら、単純にイモ洗い
行動を止めてしまうだろう。
実は、ヒトも幼児のうちは、猿と同程度の
知性しかないため、これまでうまくできた
ことが、別の理由(まだ知らない新たな理
論)でできないと、そこで行動自体をあき
らめてしまう。しかし、6、7歳くらいに
なると、成功・失敗の背景にある理論を考
え、成功するための別の理論を生み出すこ
とができるようになる。
さて、気がかりなのは、ヒトは生まれなが
らにして「反省力」を持っているのだが、
実際には使うことを忘れてしまっている大
人が多いように見受けられることだ。おそ
らく、やたらいろんなことに振り回され、
振り返る時間が取れないのだろう。
しかし、ただただ懸命に突っ走るばかりで、
「反省」することを忘れていると、同じ失
敗を招く。「反省」しないから、間違った
理論を修正することもなく、同じ行動を繰
り返すのである。
前回、なにはさておき、「行動」すること
が大事と書いたが、同時に「反省」するこ
とも重要である。
たまには「反省」してますか?
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