Weekly Matsuoty 2003/08/05
操作主義からの脱却
 
「なぜ、部下(上司)は自分の期待通りに 動いてくれないんだろう?」

「なぜ、妻(夫)は、好き勝手に振舞うの だろう?」

私たちは、日々、こんな悶々とした気持ち になることが多いのではないだろうか。

でも、これらの「なぜ」に対する答えは極 めて簡単である。

「他人だから!」

そう、たとえ同じ会社の部下・上司であろ うと、あるいは配偶者であろうと、自分と は異なる人格をもつ人間である。ロボット ではないのだから、常に自分の思うとおり に動いてくれる、反応してくれると期待す るのは無理がある。

しかし、人は、特に社会経験の浅い若者ほ ど、自分の思いのままに、周りは動くべき であるといった思い込み(意識している・ していないに関わらず)が強い。だから、 そう簡単には、他人が自分の思い通りには ならない現実を突きつけられ、大いに落胆 しがちである。

こうした、自分は、周囲の人間を操れると する考え方・意識を「操作主義」という。 しかし、これは独裁者でもない限り実現で きないものであるから、できるだけ早く、 「操作主義」からは脱却する必要がある。 つまり、「他人は自分の思うとおりには決 して動かないものである」ということを出 発点に、人と関わりあうということである。

これは、決して悲観的な考え方ではない。 なんとかして相手に自分の思いを伝え、理 解し、納得してもらえるよう努力する。そ の結果、こちらの期待する行動につながれ ば感謝する。しかし、うまくいかなくても 落ち込む必要はないということだから、む しろ楽観主義である。複雑で矛盾だらけの 人間社会の中で、楽しく生きるためのコツ と言えるだろう。

昔、ハイエクという経済学者は、社会主義 は絶対にうまくいかないと言った。なぜな ら、社会主義の前提には、「人は、よく話 し合えばわかりあえる」というのがあった が、人間の本性からして、こんなことは、 不自然であり、非現実的であるからである。

どんなに親密な関係にある人でも、すべて をわかりあえることは決してありえないと いう点は真実だ。でも、それでもなお、あ きらめずに必至でわかりあおうとするとこ ろに生きる喜びや感動があるのだと思う。
 
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