Weekly Matsuoty 2004/03/22
事実と実感
 
世の中には、「事実」という現実と、「実 感」という現実の2種類がある、と説くのは、 ダイエーホークス代表の高塚猛氏である。

高塚氏は、まだ面識のないA氏とB氏を引き合 わせる時に、Aさんに対して、「Bさんがぜひ お会いしたいとおっしゃってましたよ」と付 け加える。Bさんに対しても同様である。

AさんもBさんも、高塚氏にそんなことを口に 出して言ったわけではない。高塚氏の「実 感」として、お互いそのように思っているに 違いない、そして、引き合わせる2人がい い関係を築いてほしい、という気持ちがあっ たから、あえて両者が言わないことを伝えた のである。

その結果、引き合わされた2人は気分良く会 い、いい関係を築くだろう。つまり、単に 「会った」と言う事実で終わらず、高塚氏の 実感通りの展開をもたらしてくれる。つまり、 「実感」が「現実」に変わる。

高塚氏の言う「実感」とは、本人の主観的な 思いであり、願望であり、夢であると言える だろう。まだ、実現していない現実である。

「事実」だけでは、新たなものは何も生まれ ない。それは実現してしまった現実であり過 去のことだからだ。事実を単に見る、受け入 れるのは、単に時に流されているだけになる。

逆に、「実感」としての、自分はこうありた い、こうあって欲しいという思いは、未来に 目が向いている。そして、そうした思いが行 動につながる時、現実が実感に近づいていく。

考えてみれば、世の中を変える発見や発明は すべて「実感」が生んできた。例えば、「鳥 のように空を飛びたい、飛べるはず」という 実感が飛行機を生んだ。人は翼を持たず、手 をはばたいても決して飛べないという事実を 受け入れてしまっていたら、飛行機は生まれ ていない。また、りんごの落ちるという事実 を漠然と見るだけでなく、そこには何かの力 が働いているはずだ、という実感が、重力の 発見につながったのである。

日々の生活に追われていると、つい自分の外 側にある「事実」にばかり目がいきがちにな るが、たまには、自分の内側にある思い、つ まり「実感」に目を向けてみたらどうだろう か?
 
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