Weekly Matsuoty 2004/07/05
幸せになるのではなく、幸せでいるのだ
 
キャリアや人生についてつきつめて考えて いくと、方法論を突き抜けて、限りなく、 哲学や宗教的な思想にたどりつかざるを得 なくなる。これは、過去数年間、キャリア・ カウンセリング等について独学してきた実 感である。

逆に言えば、キャリアや人生について悩ん でいるのなら、遠回りのようだが、哲学や 宗教的な考え方に触れてみるのが良いと思 う。

例えば、学校で学んだはずだが今はすっか り忘れてしまっている仏教について、改め て学んで(かじって)みると、今だから 納得できることがあったりする。

中世日本では、この世はけがれた土地 (穢土)であり、けがれなき永遠の土地 (浄土)に近づくことが、成仏(=幸せ) であるという「浄土思想」が広まった。

当時は、飢饉や疫病が流り、この世にあま り希望を持てない時代だったから、浄土に 対するあこがれによって、人々が気を紛ら わせようとしたのは無理もない。

一方、「天台本覚思想」では、

「草木国土悉皆浄土」

あるいは

「草木国土悉皆成仏」

が言われた。これは、一本の草木、そこ かしこも、この国土の現象も、すべてが 浄土(成仏)であるとするものだ。

また、「己心の浄土」という思想も現れた。 これは「自分の手元の浄土」という意味で ある。(まるで「幸せの青い鳥」を連想さ せる)

私なりの勝手な解釈で恐縮であるが、 「浄土思想」的な考え方は、今は不幸だ から、あの世にいって‘幸せになりたい’ という志向である。

一方、「天台本覚思想」的な考え方は、 現状において‘幸せでいる’ことを志向 するものだ。

仏教についての浅はかな知識での判断を 許していただきたいのだが、極端な困窮 状態にある方は別として、現代日本で生 活している大多数の方は物質的には恵ま れた日々を送っている。

であるならば、「幸せになる」という 「浄土思想」ではなく、「幸せでいる」 ためにどう生きるのか、と考える「天台 本覚思想」を志向した方がいいのではな いだろうか。

ただし、これは現状に妥協したり、あき らめるということではない。現状を肯定的 にありのままに受け入れると同時に、幸せ でい続けるための精進は欠かせないのであ る。

‘幸せになる’

のではなく、

‘幸せでいる’

方向に努力の矛先を向けるべきではないか?
 
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