Weekly Matsuoty 2005/03/14
アイデン・ティティ
 
みうらじゅん原作、田口トモロヲ監督の映 画「アイデン・ティティ」は、イカ天全盛 時代にメジャーデビューを果たしたものの、 一発屋で終わってしまったロックバンドの 話だ。

このバンド「Speedway」のギタリスト、中 島は、リーダーとして作詞作曲を担当して いるが、売れるための曲作りや、デビュー 後の浮ついたバンド活動と、自分が本当に やりたいロックとのズレに苦悩し始める。

そんな中島の前に現れるのがボブ・ディラ ンそっくりの男だ。彼は本当のロックを探 して旅をしているという。ただし、その姿 は中島にしか見えない・・・

以来、ボブ・ディランは、中島の行く先々 に現れ、自分を見失いそうになる中島を父 性的な愛で包み、しかし、厳しい質問を投 げかけて、中島に生きることの意味を教え ようとする。

結局、中島は、売れるため、有名でいるた めに世間に迎合することを止める。そして、 ライブハウスでの地道なバンド活動を再開 する。本当に歌いたい曲を作り、歌うため に。

さて、この映画、なかなかにじーんとくる 内容であるが、当然ながら中島は架空の人 物である。ここからはある実話を紹介した い。

日本最初のビジュアル系歌手は誰だかお分 かりだろうか?

その人は、「美輪明弘」である。

彼は、1935年生まれ、22歳(自称)。17歳 でデビューし、超美形のルックスと派手な 衣装でシャンソンを歌い、一世を風靡する。

しかし、ある日彼は、仕事で行った九州の 三池炭鉱で出会った、炭まみれで真っ黒に なって働く労働者たちを見て衝撃を受ける。

“彼らに比べて私は、なんとちゃらちゃら した衣装をしていることか。恥ずかしい。”

“私はこういう人たちのための曲を作り、 歌いたい”

こうして、美輪明弘は、華やかなシャンソ ンを歌うことをやめ、労働者のための曲を 自ら作詞・作曲し、歌い始める。彼はシン ガーソングライターのはしりでもあった。

だが、彼の作る歌は暗く重く、まるで受け 入れられなかった。仕事がどんどん減って 行き、泣かず飛ばずの生活が続く。 しかし、美輪はあきらめることはなかった。

転機は1964年に発表した「ヨイトマケの歌」 である。

 父ちゃんのためなら エンヤコラ
 母ちゃんのためなら エンヤコラ
 もひとつおまけに  エンヤコラ

1 今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  工事現場の昼休み
  たばこふかして 目を閉じりゃ
  聞こえてくるよ あの唄が
  働く土方の あの唄が
  貧しい土方の あの唄が

2 子供の頃に小学校で
  ヨイトマケの子供 きたない子供と
  いじめぬかれて はやされて
  くやし涙に暮れながら
  泣いて帰った道すがら   母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

3 姉さんかぶりで 泥にまみれて
  日にやけながら 汗を流して
  男に混じって ツナを引き
  天に向かって 声をあげて
  力の限り 唄ってた
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

4 なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
  息をはずませ 帰ってはきたが
  母ちゃんの姿 見たときに
  泣いた涙も忘れ果て
  帰って行ったよ 学校へ
  勉強するよと言いながら
  勉強するよと言いながら
(以下略)

美輪は、ヨイトマケの歌に対する聴衆の反 応を見て、確かな感触をつかんではいたが、 やはりなかなか人気は出なかった。

だが、ある日テレビ番組への出演が決まり、 全国放送でヨイトマケの歌が流れる。そし て、このたった一度だけのテレビ放映を聞 いた視聴者から、テレビ局には2万通もの 感動の言葉と再放映を求める手紙が舞い込 んだのである。

こうして、ヨイトマケの歌は大ヒットし、 美輪明弘は社会派歌手としての地位を不動 のものとする。

ヨイトマケの歌は、高度成長期の日本にあ って、生活を支えるために、埃と泥だらけ で働いた母親と子どもの愛を描いたものだ。 この歌は同様の事情にあった多くの一般市 民の心を打ち、また救いとなった。

当時、美輪のところにある母娘が感謝の言 葉を伝えに来た。小学生の娘は、下校時に 土方仕事をやる母親の姿を友達に見られ、 バカにされるのをいやがっていた。そこで 母親は仕方なく、下校時間には物陰にコソ コソと隠れていたという。

しかし、テレビで美輪の「ヨイトマケの歌」 を耳にした娘は、じっと画面を見つめて歌 に聴き入り、最後には涙を流しながら母親 に頭を下げ、これまでのことを詫びた。

これからは、働く母親を自分は恥ずかしが ることはない、友だちにバカにされても気 にしない、私のために働いてくれる母親を 誇りに思うと。

この母娘もまた、ヨイトマケの歌で救われ たのだった。

ヨイトマケの歌で美輪が受け取ったファン レターは20万通に達した。当時住んでいた 部屋の床が抜けはしないかと思うほどだった という。

こうして、美輪は、ついに自分の居場所、 すなわち、自分のアイデンティティという ものを見出すことができたのである。

さて、映画「アイデン・ティティ」で登場 するボブディラン風の男は、ハーモニカを 吹くことで、言葉をテレパシーのように中 島に伝えるのだが、最も印象的な言葉を紹 介して、当拙文を終わりとしたい。

「人は自分の属さないところに行ってはい けない」

*美輪明弘氏の話は、NHK人間講座を元に しました。
 
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