ネット社会は、情報過多社会である。
普通の会社の社員でも、毎日数十通〜百通のEメールを受け取り、一日中ブラウザーを立ち上げたまま、いくらでも情報を取りに行ける。
インターネット以前は、これだけの膨大な情報を毎日処理することはなかった。誰もが限られた情報を元に業務を行ってきた。しかし、今はそうはいかない。ともかく膨大な情報が流れ込んでくる。うっかりしているとすぐに溺れてしまう。
さて、このような状況がビジネスにおいてどんな問題を引き起こしているのだろうか?
ビジネスとは意思決定の連続である。毎日大小さまざまな判断を下して行かなければ事業が回っていかない。
情報過多の問題は、この意思決定において、「見かけ上の選択肢」が以前より大幅に増えることである。
これまで、A、Bのどちらの選択が正しいのか、を判断すれば良かったのが、今は、A、B、C、D、E、Fのどれを選ぶのがベストなのか、というように、選択肢が何倍にも増えたため、判断がより難しくなった、ということだ。
ここで、私が「見かけ上の選択肢」といったのには意味がある。確かに選択肢は増えて判断が困難になったように見えるが、実はどうしようもない「スカ」の選択肢が増えるだけなのである。よく見ると、やはり判断に迷うほどの選択肢はせいぜい2つか3つかであることは変わらず、残りは検討にも値しないノイズが増えただけに過ぎない。
しかし、多くの人は適切な情報処理能力を持たないがために、検討に値する選択肢と単なるノイズを見極めることができず、間違った選択肢を選ぶ確率が断然高くなってしまう。
つまり、ネット社会は間違った選択(=失敗)をしやすくなる社会だと言えるだろう。
では、こんな社会で適切な判断を下せる人とそうでない人の差は何だろうか?
それはナレッジ(知識)有り無しの差である。
知識といっても単なる物知りであればいいというわけではない。「使える知識」である必要がある。使える知識とは情報がきちんと体系化さされ、因果関係が明確に位置付けられたものであり、わかりやすく言えば、他人に説明して、理解させることができるだけのレベルに達したものである。
使えるナレッジ(知識)を持ち、あふれる情報の目利きができるかどうかが、ドッグイヤーと呼ばれるネット社会での生き残りの鍵だ。
「ナレッジ・デバイド」
使える知識を持つ人、持たない人の格差がこれから大きな問題になっていくことは間違いない。単にパソコンが使える、インターネットの達人であるだけではもはや通用しなくなる。
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