Weekly Matsuoty 2001/10/24
インターネットバブル―ダフ屋が主役
 
 米国でベストセラーとなった「インターネットバブル」の改訂版が先日発売された。バブルが弾け散ってしまった今、「インターネット熱にうなされていたあの頃」を総括する内容へと書き換えられている。(邦訳はまだ出版されていない)

 この本の初版は99年11月頃に発刊されており、偶然にも、私が某ネットベンチャーに、大いなる可能性と一攫千金の期待を持って移った時期と重なる。

 インターネットバブル初版の主張はシンプルなものだった。それはこうだ。「インターネット株は、実際の価値より明らかに高値で取引されている。今すぐ売り払うべきだ、さもないと後悔することになる。」

 著者たちの予言は当たった。というか、冷静に考えれば、「膨らみすぎた風船はいつか破裂してしぼむ」という自明の理を言っていたに過ぎないので、実は予言でもなんでもない。ただ、彼らの警鐘を気にも留めなかった愚かな人々(私も含む)がたくさんいたということだ。

 今でも私はしばしば自問自答する。

「そもそもインターネットバブルとは何だったのか?」

 その答えの一つを上記の著書の中の表現を借りて、私なりにアレンジすればこうなるだろう。

 「インターネットという競技場で、様々なネットベンチャーが繰り広げるゲームの入場券をダフ屋が高値で売り抜ける仕組み」

 こう考えると、私のような現場のプレイヤーたち、つまり様々なビジネスモデルを実現するために情熱を注いだ者たちは、インターネットバブルの主役ではなかったと言うことが言える。主役は、あくまでダフ屋だった。なお、ダフ屋がどんな人々なのか、あえて言う必要はあるまい。

 ネットベンチャーのプレイヤー達は、インターネットという無限の可能性を秘めていると思えたフィールドで精一杯、力の限り闘った。これは真実だ。しかし、ダフ屋が入場券を高く売りつけるための画策に、結果として加担してしまったというのも真実だろう。例えば、中身のないハリボテ・ブランドイメージを構築するために数億円ものマーケティング費用を投じたりした。

 インターネットバブルは、ヒトの歴史の中でしばしば繰り返されてきた愚かな行為の一つにしか過ぎない。しかし、必ずしも悪影響だけを残したわけではないと私は考えている。

 次回、インターネットバブルが遺したものについて考えてみたい。
 
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