Weekly Matsuoty 2001/03/06
積極的不確実性
 
 「判断」と「決断」は違う意味を持つ。「判断」とは必要十分な情報、すなわち文字通り判断材料が揃わないと下せないものである。「判断」とは、判断するに足る情報を客観的な視点から分析して下すものであるから、判断する人が替わっても大抵答えは同じになる。

 「決断」とは、どんなに情報を集めても不確実性が減少しない、あるいは情報を集め過ぎると、かえって複雑性が増してしまうような状況で下すものである。つまり、妥当性のある答えを判別する「判断」ではなく、最終的には、自分の価値観に基づいて決めるから「決断」という。

 さて、ドッグイヤーと言われるほど変化が速く、将来に向けて変化のスピードはますます加速化すると予想される今、客観的な判断で済む場面はほとんどなくなりつつある。皮肉なことに、インターネットの普及は、情報流通量を爆発的に増大させたが、それによって、本当に求めている必要な情報が埋もれてしまい、ますます不確実性が高まる結果となっている。

 真っ暗闇の中を手探りで歩きつづけるのは不安なものだし、できれば避けたいのが心情だが、これから我々が体験する将来は、こんな不確実性に満ちている。これを避けることはできない。

 とすれば、「将来はどうなるかわからない」という厳然たる真実を受け入れ、積極的に柔軟に対応していくしかない。「積極的不確実性」とはそんな意味だ。

 先ほど、不確実性の中で下す「決断」とは、自分の価値観に基づくと言った。価値観とは、自分に取っては方向を指し示すコンパスのようなものである。あるいは、遠くに見える灯台のようなものである。

 目の前が漆黒の闇なら、自分の価値観を拠り所として、自分自身の夢を到達地点(ゴール)において、勇気をもって歩き出すしかない。実はゴールはあなたの手の中にあったことを最後に気付くかもしれないが。それでいいのだ。
 
close