Weekly Matsuoty 2002/06/21
失敗学
 
 工学院大学教授畑村洋太郎氏が研究している「失敗学」は、なかなか興味深い。出版社の口車に乗せられて(本人曰く)、最近山ほど「失敗学のなんとか」という本が出されているので、ご存知の方も多いだろう。

 さて、畑村氏の話を聞くと、コロンブスの卵的ながら、改めて愕然とさせられることが多い。

 例えば、吊り橋の構造状の問題は、「タコマ橋」の崩壊という“失敗”の原因を徹底追求したことで解明され、以降吊り橋が落ちるという事故は発生しなくなった。つまり、「失敗」から学ぶことで技術は進歩するということだ。

 また、失敗がもたらす結果の重大さと、原因の階層(個人レベル〜企業レベル〜社会レベル)との相関を見ると、重大な問題を引き起こした失敗の原因の多くは、企業組織運営の不良、あるいは企業経営(=経営者)の不良にあるということがわかっている。

雪印やダスキンの例を持ち出すまでもなく、やはり企業経営に関わる重大な失敗の原因は「リーダー」にあるのだ。

 畑村氏は、今の大企業の経営者はみんな無知だから経営者になれたと毒づく。できあがったレールの上をただ無知に進んでトップの座に着いただけであると。

 問題は、現在の企業環境も、また肥大化した組織構造も極めて複雑になってしまい、無知な経営者にはとても全体像を把握することができないという点だ。したがって、そんな経営者のスタイルは、「良きに計らえ」とならざるをえない。

 そうすると各部門はどんな行動を取ることになるのかというと、その部門にとって最適になる行動を選択することになる。つまり局所最適化を目指す。各部門が、自部門のことだけ考えて「局所最適」を目指したらどうなるか。「全体最悪」(つまり重大な失敗)を招くのである。このような状況に陥った具体事例は、ちょっと見回しただけでもすぐに見つかる。(ex. 東海村の臨海事故)

 失敗をなくす決め手は、前述したように「原因を解明すること」であり、日本社会で典型的な「責任を追及すること」ではないのは言うまでもないことであるはずなのに、重大な失敗が繰り返されるのはなぜなのか?

 大上段から日本社会・文化の構造改革を唱えるつもりはないが、かなり真剣に考えないとまずいと思っている。

 ところで、話は飛ぶようだが、ネットバブルの時期に雨後の竹の子のように生まれたベンチャーの死屍累々は、その失敗の原因が十分に研究・解明され、現在の第2世代ネットベンチャーの成功に役立っているとすれば、決して無駄・無意味ではなかったことになる。試行錯誤の失敗を通じて、初めて成功に近づくことができるからだ。

(注)決して、ネットベンチャーの失敗を正当化しようとしているわけではありません。失敗は、直接的にはネガティブな結果・影響を社会や個人に対してもたらすわけですから。
 
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