これまでの市場経済でのプレイヤーは、「売り手」「買い手」という表現で形容されてきた。ところが、現代社会に起きている変化を見ると、「サプライヤー」と「ユーザー」という表現が妥当な場合が多くなってきた。
「売り手」と「買い手」の間でなされる取引は、「所有権」の移転であったのに対し、「サプライヤー」と「ユーザー」の間でなされるのは、「利用権」の一時的な提供・利用である。
「エントロピーの法則」の著者として有名なジェレミー・リフキンは、上記のような「利用権」を「アクセス」という言葉で表現している。何かを所有することではなく、必要に応じて‘アクセス’することが現代経済において広がりつつあるというのだ。
これは何も目新しい切り口ではなく、物を売るのではなく、サービスを売るというサービス化経済の概念をユーザー視点で捉えたものであると言えるだろう。
そもそも、何かを所有することには本来的な価値はなく、消費・利用することに意味がある。商品自体ではなく、その商品が提供する機能、その機能がもたらすベネフィットこそが本質的に求めているものだからである。
もちろん、所有することは、権威や地位の象徴としての意義があるから、そのような観点からはまったく無意味ではないのだが。
さて、現在のネットワーク社会において、高い価値をもつようになった「情報」ほど、所有すること、つまり独占・占有するのが難しく、また無意味なものはない。むしろ共有することによってさらに高い価値を持つようになる場合が多い。
所有という概念が該当しにくい情報を日常的に大量に扱うようになった現在、我々は、「所有する」という意識がますます希薄化しているように思える。
何かを所有することより、どれだけ様々な情報やサービスにアクセスできるか、ということが大切であると思うようになってきた。
所有することではなく、利用すること、言い換えると、「経験すること」に、より大きな喜び・意義を見出すのが現代人である。
豊富なアクセスを有する「アクセスリッチ」が消費者の理想となりつつある。
(参考文献)
「エイジ・オブ・アクセス」 ジェレミー・リフキン著、集英社
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